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学校生活

校長室だより

2013年1月の校長室だより

 

聖徳大学附属小学校

校長  佐藤 幸雄

 2月の学校だよりは時事トピックを取り上げます。おもしろい新聞記事を最近見つけました。朝日新聞の土曜版「be」に毎週“beランキング”が載っています。

 

 1月26日号には札幌の二人の女子大学生がつくったという『ネガポ辞典』が出版されちょっとしたブームになっていると紹介されていました。

 まず、ネガポ語とはどういうものなのでしょうか。例を挙げるのがはやいでしょう。たとえば、①「いいかげん」を「おおらか」と言い換えること(用例:彼は仕事がいいかげんだ→彼はおおらかで多少のミスも大目に見てくれる)。②「つきあいが悪い」を「No!と言える」と言い換えること(その心は:一人には一人のよさがあることを理解しているので、気の進まない誘いは、嫌なものは嫌とキッパリ断ることができる)。これでおわかりだと思いますが、「ネガティブ(否定的)な言葉をポジティブ(肯定的)に言い換える」こと、あるいは言い換えた言葉ということでしょうか。ランキングなのでベスト10をご紹介しましょう。①がベスト1。②はベスト3です。他は順番に「気が多い→好奇心旺盛」「飽きっぽい→切り替えが早い」「退屈→平穏無事」「頭が固い→芯が強い」「失敗→成功への架け橋」「一匹おおかみ→自主性がある」「空気が読めない→周りに流されない」「往生際が悪い→粘り強い」というような調子です。ベスト10以外にもおもしろいものが出ています。「鈍感→打たれ強い」「器用貧乏→マルチな才能がある」「諦めが早い→限界を知っている」「融通が利かない→周りに流されない」「暇人→自由人」等。


 記事には「頭髪がさびしい別の上司は『シャンプーを浪費しないエコ頭』と豪語」している、とあってなにか言葉をもてあそんでいる気配もありますが、辞典を作成した方は、自分の体験から「どうせ同じことを表現するなら、前向きになれる言葉を選ぶようにすれば、生きる自信が湧くはずだと思いついた」そうです。

 この紙面を読んでまず私が思い出したのは、通知表の所見欄でした。どの小学校のどの教師でも直接的な否定表現は所見では避けていきます。児童のよい面や肯定的なとらえ方をして文章にします。現代の教師はプラス思考が求められているのです。記事にも保育士がインタビューされて「『イタズラばかりする』は『好奇心旺盛』、『おとなしい』は『じっくり物事を吸収中』のように子どもや保護者にはポジティブに変換して話す癖がついている」と述べていますが「不用意に子どもをいじけさせない」ことは今の子どもたちには不可欠な配慮でしょう。

 現代の教育理論でも「自己肯定感」とか「自己有能感」とかの自分に対してプラス評価の感情を培えた子は、発達上よい影響があることが立証されてきています。前校長の松山先生も赴任したはじめ私達に示してくださった講話で、やはりこの子どものもっているよさを積極的にとらえて伸ばすことの大切さを強調していました。「日本人はえてして短所を矯正していく指導をしがちだが、そうではなく長所をさらに伸ばす指導をしよう」と呼びかけて本校の学校運営をはじめられたのでした。その教え子の私達ですから、この姿勢を持続して真に教育的なポジティブな教師をめざし、ポジティブな意欲と自信をもった児童を育てていきたいと思います。



 

聖徳大学附属小学校

 

校長  佐藤 幸雄

 

 先週水曜日、明和会役員選挙(いわゆる本校児童会活動の会長等の役員を決める児童選挙)のための立候補者演説集会を低学年の児童も参観のもと体育館でおこないました。近年では学校によっては子どもの荒れや無関心のため選挙という仕組みを教育の場に持ち込めない学校もあると聞いていますが、本校では開校以来毎年児童による立候補、選挙といういわゆる教科外特別活動の子ども自治活動の一つとして児童選挙を進めてきました。

 

 前号に引き続き本校の歴史をさかのぼる話題になりますが、前学園長先生の思いにあった附属小学校設立ビジョンは、環境はイギリスの私立学校、教育内容は東京千代田区の公立小の番町小学校でありました。現学園長をご長男とする4人のお子さんが卒業した小学校です。この学校は日本の行政順では全国約2万3000校ある小学校の筆頭校でありまして、歴史も伝統も半端ではない有名小学校であります。昭和40年代高校入試が改革されるまでは、番町→麹町→日比谷→東大といえばエリートコースの代名詞でありました。そんなご子息達が受けた当時の教育を本学園の附属小学校で再現したいという願いがあったそうです。附属中高は女子校であった聖徳で小学校だけは共学にしたのは、番町小のような学校にするには男子の活気が必要であるという判断が大きかったとお聞きしたことがあります。したがって開校当時、番町小で教鞭をとられていた多くの先生方がおいでになりました。なかでも当時の番町小の特別活動を創意し推進されていた岩上廣志先生を本校にお迎えして、今に続く本校の全校ページェントや誕生日集会、季節の諸行事を和の心を培う教育活動として礼法、教科学習に並ぶ本校の特色ある教育として展開してきました。現在もその意思を引き継ぎおこなっているのは皆様もご存じの通りです。

 

明和会選挙もその一環として現在も大切に取り組ませています。近年は立候補者が多くなっているのがうれしい特色です。今回、明日の附属小を担うべく立候補した意欲あふれる聖徳の子を紹介いたしましょう。(ホームページ上ですので安全を期して氏名は省略いたします)

 

 子どもたちの立候補演説には心が洗われる思いがいたします。その児童の受けた聖徳教育を芯から信頼してその発展を自分でも推進していきたいという素直でピュアな心情には、私たち教師の責任の大きさを背筋をしゃんとさせて考えさせるインパクトがありました。低学年のときから上の学年の会長などに憧れてこの明和会選挙に立候補できることを心待ちにしていたという発表を聞くにつけ、「憧れ」という美しい教育作用がこの学校に生きて働いていることになんともいえない誇りを感じるのであります。投票はあさって30日水曜日、結果発表は31日木曜日です。(頼もしい子どもたちだ。全員に当選してほしい)    



 

聖徳大学附属小学校

校長  佐藤 幸雄

 

 私は東京の足立区で育ちましたが、小学生だった昭和30年代後半と比べてみれば昨今の冬はたしかに暖かくなっています。池などに凍る氷の厚さがちがっています。自宅に小さな池がありましたが、子どもとはいえ私が上に乗っても氷は割れることがないほど厚く張っていました。と思い出しはしますが、今年の冬はここ例年になく寒いですね。12月から朝通勤中の車の温度計がマイナスを示すのに驚きましたし、1月になっては零下の日の方が多いのではないかと思うぐらいです。先週の月曜日には雪がかなり降りました。休日でよかったです。昼からの激しい降雪だったので、普段であれば下校に混乱をきたしたことでしょう。一斉メールでも喚起しましたが、翌日は225名の出席者でしたから半数以上のご家庭で自宅学習に切り替える判断をしていただきました。学校でも混乱なく過ごすことができました。

 

 また、少し風邪などの欠席者も増えてきているようです。昨年はインフルエンザで学級閉鎖するクラスが多数出ました。漢字検定の実施時期ともぶつかり対応に苦慮しました。今年はそうはならないようにご家庭でもご配慮いただき、学校でもより気をつけていきたいと思います。しかし、罹患するときは何をしても発病してしまうのが病気というものかもしれません。

 

本校では皆勤賞を設けています。6年間、無遅刻無早退無欠席のときは卒業式のときにそのがんばりを顕彰しています。開校当時より制定されていることではありませんでしたが、卒業時に一人そのような子が出たのです。前学園長先生に相談したところ、私立学校ということでもあり、遠方から通ってきている児童も多い。6年間一日も休まず通ってきてくれたことはなんとすばらしいことではないかというお話があり制定した皆勤賞でした。あくまでも結果としての無欠席を認めるご褒美賞として制定されたのでありました。それから毎年ということではありませんが、これまで何人ぐらいになるのでしょうか受賞した児童は多く出ています。すごいことですね。並大抵なことではありません。卒業式では、受賞で本人が登壇中、保護者の方などにもお立ちいただいて、式場の全員で拍手も贈っています。ご家族のお力がなければ実現することはなかったでしょうから。

 

 昔を思い出してみますと、私の小学生時代には皆勤賞はありませんでしたし、昭和の最後東京都の小学校教員を8年間していましたが、やはり皆勤賞という制度は行われていませんでした。その当時は、皆勤賞というのは戦前の国民学校の少国民錬成政策と結びついて行われていたものと思っていました。だから戦前の教育を全否定した戦後の日本の学校から皆勤賞も消えてしまったのだろうと考えていて、疑問に思うこともありませんでした。

 

 現在、長年私立学校に勤務してきた身として皆勤賞のあることを納得しています。また、受賞した児童についてすばらしいことだと感嘆の気持ちを抑えることができません。これからも顕彰を続けていきたいと思います。ただ、一つ気がかりなのは、皆勤賞が健康で登校を積み重ねた結果としてのご褒美としての顕彰であることを隅に置いてしまって自己目的と化してしまうことです。つまり皆勤賞のために無理をしてしまう、無理をさせてしまうことがあるのではないかということです。発熱がわかっていても登校させてくる、保健室で寝ていてもいいから帰りまで学校にいる。これらはお気持ちはわかるとしても本末転倒の行為でしょう。ちなみに附属取手聖徳女子中高では無欠課も皆勤賞の条件だそうです。つまり、保健室に1時間いたら授業(課業)を1コマ欠席したことになり皆勤賞はもらえない。小学校の本校でそこまでしようとは考えていませんが、あくまでも子どもの健康を第一に考えて登校させていただければなと願っています。また学校側で下校判断をした場合には、お迎えなどなんらかの対応をお願いしたいと考えます、そして健康に留意してもし一日も休まず6年間登校することができたら、その時は、卒業式当日、体育館で割れんばかりの拍手を贈って参列者全員で祝福したいと思います。



 

 

聖徳大学附属小学校

校長  佐藤 幸雄

 早いものでもう新年も月半ばを過ぎてしまいましたが、年初め1回目の「響き」でもありますので、今回は私の好きなことの話を書かせてください。“響き新年会”といったところ。気軽にお読みいただければありがたいです(お急ぎの方は今回はとばしてください)。好きなことというのはバードウオッチング。鳥を見に行くのが趣味なのです。本学園が親しくさせていただいている皇族の高円宮久子妃殿下はバーダー(バードウオッチャーのことをこうも言うそうです。「BIRDER」という専門誌もあります)として著名な専門家ですが、私は全くの素人。写真を撮るわけでもなく、研究的に鳥に近づいているわけでもありません。ともかく見るのが好き。初めての鳥を見るととにかく記憶、記録したくなるのです。気取っていえば博物的興味でしょうか。

 

 そんなわけで、冬休みは年末忙しいのにすべてを後回しにして鳥を見にいつものメンバーと行くことになります。学習院、立教、玉川学園、自由学園、聖心など全員東京の私立小学校の先生方なのですが。今回は会として念願の鹿児島県出水市(いずみし)に鶴を見に26日早朝から羽田を飛び立ちました。

 

 出水市といってもメジャーな地名ではないですから、鹿児島県のどのあたりかはちょっと見当のつかない方が多いのではないでしょうか。有明海の南、八代海に面しています。熊本県水俣市の海岸沿いの並びの町になります。

 

 その海沿いの広い田園(すでに稲刈りは終わっています)に渡来がピークになる12月には1万羽を超える鶴が越冬しに遠くシベリア等から飛んで来るのです。「世界一のツル飛来地」であるという看板が観察センターの前に出ていました。私たちはツルといえばタンチョウヅルを思い浮かべますが、あれは北海道の留鳥。出水にやってくるツルは、8割がナベヅルで残り2割がマナヅルです。あと少しソデグロヅル、カナダヅル、クロヅルが混じります。人家の近くにこれだけの数が集まってくるところは世界中でも珍しいわけですが、こうした人とツルとの共生は地元農家や出水市民の理解と協力があって可能と言われています。

 

 どのツルも環境庁の絶滅危惧種に認定されています。ナベヅルは世界中に1万2000羽が生息、マナヅルは6500羽ということですから、出水に毎冬やってくる両種の数の多さが特筆されるのもわかる気がします。昭和27年(1952年)には「鹿児島県のツルおよびその渡来地」として地域を含めて国の特別天然記念物に指定されたそうです。私の生まれる前からの有名地だったのですね。

 

 ナベヅルの名前の由来は、鍋底の煤の黒さのような羽の色からきているということです。事実首は白ですが体はほとんど黒。翼を広げて180㎝ぐらい。マナヅルは、真鶴、真名鶴という漢字をあてますが、「ま」は標準的という意味、「な」は食用を意味する古語だとWikipediaには出ていましたが、「真」という字から連想するこれぞツルというイメージが感じられました。体色は灰色ですが、その灰色が、長い首筋の内側を顔の直下まで筆で刷いたようにのぼっているようにみえます。そして目の周りは鮮やかな朱です。翼長は優に2メートルは超えますから、低空を滑空しているさまはその空間を異次元に化してしまうような神々しさがありました。私には「夕鶴」のモデルはこのマナヅルではなかったのかという想像がわきました。ツルは一見、日本どこにでも見られるサギを大型にしたように見えますが、一番異なるところは飛んでいるときの首の伸ばし方です。サギ類は首を平たいS字のように折って飛行しますが、ツルは首を前に突き出すようにまっすぐ伸ばします。これはハクチョウと同じ。この姿と広げた翼の大きな優雅さが格調高い印象をかもしだす要素になっているのでしょうか。

 

 ともあれ、生物としてのツルを年末に心ゆくまで観察することができました。私はもう一つ俳句をひねるのも好きなので、一つ腰折れを詠んで文学としてのツルも味わったのでした。

 

    鶴見れば鶴のたましい透けるまで   



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