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学校生活

校長室だより

2013年6月の校長室だより

聖徳大学附属小学校

校長  佐藤 幸雄

 

 先日、日曜日にある大手幼児塾主宰の千葉県私立小学校が全校集まる学校説明会に参加しました。新浦安駅前の大きな一流ホテルで開催されますので、アクセスもよく2回目の今年も多くの参加者がありました。本校の個別ブースにも大勢の相談者が並びました。まだ、秋山の地にまでは足を運んだことのない保護者ばかりでしたので、本校への関心をさらに高めるべく三須副校長と誠意をもって説明に努めた休日となりました。

 

 「御校に入学するためにはどんな準備をしておくとよいでしょうか」という質問が最近よく保護者から発せられます。もちろん内部試験ではない一般入学試験ではペーパーテストもあるわけですし、その比重も大きいわけですからその対策の最良の方法は、幼児塾に通って問題の解き方などに慣れることが具体的な準備になるわけですが、私はさらに大切なことがあると思っていますので、以下のような話をします。

 

 それは小学校受験がもつ意義、意味を保護者に考えてもらうことにつながっています。ふつうであれば、義務教育のはじまる小学校教育ですから、すんなりと地域の公立小学校に入学が決まるわけですが(現在では、選択制の地域も多くなっていますが)、そこをあえて受験してみようと保護者が考えたとき、胸に浮かぶことは、はたしてこの子は合格できるだろうかという思いでしょう。それは必然的にそれまでのご家庭の子育てのありかた、お子さんの現在の成長のようすを親の欲目を離れて第三者の視点で振り返ることをもたらします。私はその保護者の内省こそ、小学校受験で得られる第一の意義であると考えています。そして、どの小学校を選ぼうかと選択をしぼっていく中で、各小学校の教育方針を比較検討します。その思考過程は保護者の子育てや学校教育に対する価値観を明確にする過程にもなっていくだろうと推察するのです。私は、保護者のこの価値観形成こそ小学校受験で得られる第二の意義であると考えているのです。通常ではご家庭の歴史の中でめでたくもうれしくもあるお子さんの小学校入学という一齣ですが、小学校受験を経ることで、各ご家庭としての人生の節目を自らつくり、そこでお子さんという窓から、子どもや家庭の過去・現在・未来を展望してみることができると考えています。この経験は貴重でしょう。家庭はあるものではありません。ご家族がつくっていくものだからです。

 

 以上のことを踏まえて、とくに2つのことを意識して取り組んでくださいとお話しています。この2つは、合格するためであることはもちろんですが、さらにもっと長い射程でそれ以後のお子さん自身の成長を後押ししていくものです。その2つとは別に目新しい指摘ではありません。目を見て人の話を聞ける姿勢を身につけてくださいということと、小さな成功体験を積み重ねて自分に対して自信をもたせるようにしてくださいということです。

 

 話を聞けることの大切さは、小学校教育のなかで強調してし過ぎることはありません。集団教育が本格化する初等教育では、今、やることの理解は自ら見て聞いて獲得しなければなりません。やることが理解できなければ、自分の能力をその活動に十全に投入できないのです。子どもの成長段階では“活動して学ぶ”のですから、十分な活動ができなくては自己の能力の宝のもちぐさりになってしまいます。

 

 そして活動は受け身より進んでトライしてこそより成長の糧となることは教育の原理です。自信はここで輝いてくるのです。自信という日常語より「自己有能感」という概念が少し前から強調されるようになりましたが、新しいことへの取り組み、目の前に差し出された課題への第一歩は、好奇心が引き金となるのです。その好奇心を発動させるのが、「それは自分にはできるかもしれない」という自己有能感にほかなりません。課題に積極的に取り組む子は、それだけでも自分のもつ可能性に気づく機会が増えてきます。

 

 聞ける姿勢、自己有能感を育てることはむずかしいことではありません。日々の子どもを注意深く見ていけば必ず、その2つに関してほめることが見つかります。お説教より事実へのほめ言葉です。



  聖徳大学附属小学校

校長  佐藤 幸雄

 過日の6月の学校だよりでは紙面の都合で紹介できなかった、4~6年の理科授業のチャンピオンノートをもう少し紹介したいと思います。子ども達が思考や知識、経験を全開して自らの学習のあとを自らの言葉で綴っていく学習は、昔から「作文的教育方法」として実践されてきましたが、現在めざすべき学力観としての“思考力・判断力・表現力の育成”のためにも今でも重要視されてよい効果的な方法です。課題解決学習を継続していって、どの子も以下のチャンピオンノートのような自分の認識の過程を綴れる力を育てていきたいと思います。

 

※4年「金属」の学習から

課題2・・・空き缶の横の部分が金属かどうか調べるには、どんな方法があるだろうか。

<自分の考え>紙やすりや金属みがき(ピカール)でみがいてそこに電気を通す。スチール缶だったらそこに磁石をつければよい。けずったところに金属光沢があるか。

<結・様・確・?>上の3つの方法で金属を見分けられることがわかった。一番手軽なのは金属光沢があるかどうかです。みがいたところに電気がピカッとついて、さっきまで電気を通さなかったのがちがうみたいだった。確かになったことは、金属は電気を通すです。ほかのちがうめずらしい金属も、もしできたら調べたいです。あと、例外でとっぴょうしもないなかまはずれの金属も見つけたいです。

 

※5年「植物の繁殖」の学習から

課題14・・・右の図(省略)のようにダイズを置くと、A,B,Cのどこが発芽するだろうか。

<自分の考え>私はBのダイズが発芽すると思いました。なぜかというと、Bが空気と水の2つの条件がそろっていてAとCは空気か水の1つしか条件がそろっていないからです。あと、発芽するには水と空気と適当な温度が必要で、適当な温度はABCぜんぶが適当な温度で、空気があるのはAとBで、水があるのはBとCだけで、この3つの条件がそろっているのはBだけなので、私はBだけが発芽すると思いました。

<結・様・確・?>実験の結果はBだけが発芽するでした。Cはくさってしまっていて、Aは何にも変化していませんでした。この実験で水だけのCは発芽しない、空気だけのAは発芽しないことがわかりました。追加の実験(水の中では発芽しないダイズのたねにエアーポンプで空気を送ったら発芽するだろうか)の結果は発芽するでした。途中でエアポンプだけの空気で足りるのかなと少し迷いました。友達がエアポンプの空気だけで魚は生きていられるから発芽すると思うと言って、その意見がいいと思って賛成しました。そしてこの実験で、水がたくさん入っていてもエアポンプなどの空気だけでも発芽するとわかりました。

 

※6年「動物の体と生活」の学習から

課題6・・・肉食動物と草食動物とでは、消化管の長さはどちらが長いだろうか。

<自分の考え>草と肉とではどちらが食べやすいだろうか。草はせんいが多いので食べにくいと思う。私もほうれん草を食べていてつまってしまったことがあるからだ。胃などに負担がかからないように管は長くなっているのではないかと思った。牛などは一度はきもどしてかんでいて、だから口がもぐもぐ動いているのだと思う。→草食動物は長いと思う。他は、草には栄養が少ないので、できるだけ多くとれるように長くしているのではないかと思った。肉は草に比べると比較的食べやすいと思う。肉は草より栄養が高いので草食のように何度もはきもどさなくてよいし、長くなくてもよいと思った。肉は草よりも食べたあとに出るふんのにおいが強烈だ。それは腸が短いしょうこではないかと思った。

<人の考えを聞いて>私は「せんい」(繊維)と言ったが、その多くは食物せんいだと言っていた人がいた。せんいと食物せんいとではどうちがうのだろうか。

<結・様・確・?>草食動物は食物繊維が多く含まれている草を食べているので、消化管が長い。肉食動物は比較的食べやすい肉を食べているので消化管が短い。ちなみに、ライオンの腸は7m、シマウマは20mあるそうだ。そして、肉食動物は、新鮮な肉を食べているので、食中毒にはあまりならないことがわかった。



 聖徳大学附属小学校

 校長  佐藤 幸雄

 

 第10号の今回も、1、6年の望月校外学習最終班に同行していますので、校外学習のつれづれを書きつけていくことにいたします。題して“望月つれづれ草”。「日暮らし硯ならぬパソコンに向かひて」いるわけではありませんが、見たこと、聞いたこと、頭をよぎった想いなどを綴ることで行を埋めていきますのでご容赦ください。

 

 6年生は初日、かすがの森に直行しないで、途中上信越自動車道を富岡ICで下車し、世界文化遺産候補の富岡製糸場に寄っていくことになっています。私は今年はじめて児童といっしょに見学しました。学習としてのフィールドワークで一番重要なのが自然事象でも社会事象でもガイドの存在です。私達初学者は見ているものがたとえ本物の実物であっても、見れども見えずの状態が多いものです。そのときガイド氏の適切な一言が、私達の見聞に知識と意味と価値を付与してくれるのです。今回の見学は、そういう意味で6年生にふさわしいガイドさんでした。元教員であるというその方は、ただ内容を説明するだけではなく、子どもの様子を見ながら話してくれていました。反応によってその場で臨機応変に説明する事項を加減していたように見受けられました。

 

 ともかく富岡製糸場の建設思想の大きさ、きめ細かさは知れば知るほど素晴らしいものです。文化庁が産業遺産として世界遺産正式推薦をユネスコにしたということですが、現地で本物を見て説明を聞くとその理由も納得できる気がしました。

 

 まずその規模の大きさ。当時世界一の設備を誇っていました。設立の中心人物、フランス人技師ポール・ブリュナ氏は、日本が近代化を推進するためにヨーロッパから呼び寄せた学問や文化、産業のいわゆるお抱え外国人の一人でしたが、単に外地に仕事を求めるためにやってきた野心家ということではなく、製糸業にかける自分の理想を遠く極東の島国で実現しようという公の大志が感じられます。ブリュナ氏に応える日本の官僚、建設業者、職人たちも立派でした。鉄とガラス以外、建築資材はすべて現地及びその付近で調達されたり製造されたものだそうです。中でも「木骨煉瓦造」の木材の杉・松、瓦職人が自作した煉瓦はその外見をみごとに残しています。さらに驚くべき建築工法が採用されているのが、140mの直線屋根を持つ繰糸場。それだけの長さでも内部には屋根を支える柱は1本もないのです。梁に三角構造を取り入れるトラス工法の成果です。その広々とした空間にフランスでは150釜までしか設置されていなかった繰糸器を倍の300釜直線で装備させたというのですから生半可な発想では出てこない考えではないでしょうか。

 

 このような価値の創出には素直に感動できます。私たちは製糸場というと、『女工哀史』や『ああ野麦峠』の悲惨なイメージを思い浮かべますが、またその事実は本当でしょうが、富岡製糸場にみなぎっていたのは、明治初期の富国強兵・殖産興業の明るく前向きな日本の姿でした。診療所もあり、工場ではすでに太陽暦を採用していたので日曜日は休業していたそうです。就業時間も一日7時間45分とのこと。電気がないので夜の残業はなく日が沈めば終わりました。日本の近代産業の模範工場として位置づけられていて、ここで働いていた全国から集まった女工さんたちには、きっと富岡で技術を学んできたという誇りが、習得後の地元での指導を支えていたのではないかと想像します。

 

 それにつけてもこの産業遺産を見て連想したのは、本校の校舎と建築思想です。これまでの日本の学校校舎では考えられなかったふきぬけのふれあい広場、食堂、礼法室、オープンスペース教室、芝生の校庭。創設者のアイデアには、現状踏襲的にやりくりしてちまちま仕事を果たそうというのではない、感動を呼ぶみずみずしい感性と、ものにとらわれない斬新な思考とが意欲をもって働いていたからこそ新たな価値を本校に誕生させたのです。



聖徳大学附属小学校 

校長  佐藤 幸雄

 

 現在私も同行している5年生は、浅間山の麓の鬼押し出し園や火山博物館に向かうバス車中ですが、今回の「響き」は(次回も?)校外学習のつれづれを書きつけていくことにいたします。「あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』序段から)になりますでしょうか。

 

 気象庁が、関東甲信越の梅雨入りを先週宣言しましたが、なんとまあ信州望月はよいお天気です。凱風快晴(凱風は南風のこと)。先週の附属女子中高の望月は4日間とも雨だったそうですから、またもやあっぱれの晴れ男ぶりです。

 

 そして昨夜は、私もかすがの森ではひさしぶりの星空にもめぐまれました。やったあと思いながらも6月の今頃は、夏の大三角やさそり座など夏ならではの星座は、まだ9時過ぎでないと見やすい方角に上がってきませんから、一抹の心配もありました。案の定少しガスってきましたが、5年生は4年間まだ望月の星空に出会ってないということなので、2年生にはちょっと失礼してグラウンドへ。残念ながら大三角は現れてくれませんでしたが、北斗七星の二連星や惑星の土星が見えました。そして、部屋にもどる間際には、さそり座のアンタレスが、宮澤賢治が「星めぐりの歌」で“♪あかいめだまのさそり♪ひろげたわしのつばさ”と歌った赤い星がはっきり出現してくれたのでした。(と、書いているとき、田んぼに鴨がいると教えてくれた女子がいました。カルガモの赤ちゃんです。あのカルガモ農法をかすがの森の周辺の田でも取り入れているのでしょうか。)

 

夏の大三角の一つ、琴座のベガといえば、ギリシャ神話のオルフェウス伝説です。その0等星の輝きを見ながら子ども達に話して聞かせたいとねらっていたのですが、願いかなわず残念なことでした。それならと3日目キャンプファイヤー中の営火長の火の話を今年は、この神話を炎を背に語ってみようと考え直したのでした。私はこのオルフェウスとエウリディケの悲話がなんとも大好きです。とりかえしのつかない過ちをわかっているのにしてしまう人間のどうしようもない哀しみと愛しさが神話という元型的な物語にシンプルに語られているからです。琴の名手オルフェウスが愛妻エウリディケを毒蛇に足首をかまれて亡くします。亡き妻を冥界にとりもどしにいくオルフェウスは、その琴の音色の魅力で冥界王プルトーンの許しを得て地上に二人でもどることを許されるのですが、ただし、地上につくまでは絶対に振り向いてエウリディケの顔を見てはいけないと約束させられるのです。天にも昇る心持で妻の手を引いて地上への道をたどるオルフェウスですが、目の前に冥界の出口の明かりがぼんやり見え、あと一歩で地上へ出られるというその時、つい気がゆるんだのか、彼はうっかり振り向いてエウリディケの顔を見てしまう!もとの木阿弥。あっという間にエウリディケの姿は冥界の闇の中へ永遠に消え失せてしまう。なんという愚かさ。なんという私達の似姿。そんなお話。ああ。

 

 本年度は1班を2、5年としました。通して引率している教員から見ると、3、4年のスタートよりも落ち着いた出だしとなって塩梅がよいのです。開校式の児童代表あいさつでは、明和会副会長の田中陽菜さんが「ふるさとに帰ってきたような感じがします」と述べていましたが、昨年「響き」で校外学習の意義に、ふるさと感覚を育てて安定感のある心を育てることをあげました。それを踏まえてあいさつを構成してくれたのでしょう。こういう響き合いはうれしいものです。

 

 そうこうしてキーボードをたたいている内に浅間山山麓につきました。実に美しい眺めです。これだけ浅間山の稜線が美しく輪郭くっきり見えるのはちょっと記憶にありません。溶岩流が、斜面をなだれ下って固まった全景が遠望できる道路スポットがあるのですが、その眺望も最高でした。大地の変化のすさまじさを実感させてくれます。今年の5年生はついていますね。

 

「鬼押出し」というのはいかにも民俗学的な名称ですが、地学的にはたいへん貴重な自然遺跡です。今日は、コマクサもヒカリゴケも見られました。たいへん有意義な2日目でした。





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