HOME > 学校生活 > 校長室だより

学校生活

  • 施設・設備紹介
  • 教員紹介
  • 登下校対策・安全対策
  • 年間行事
  • 放課後スクール
  • 制服ガイド
  • 校長室だより
  • 教員研修日誌
  • 校内ギャラリー

学校生活

校長室だより

2014年5月の校長室だより

平成26年度 学校だより 5月号

 

      聖徳附属小歴代の校長先生たち

              ―聖徳の歴史を知る集会にちなんで―

 

                          聖徳大学附属小学校  校長 佐藤 幸雄

 

 4月27日は、聖徳学園の第81回目の創立記念日でした。今年は、当日が日曜日に当たっていましたので、休校とはなりませんでした。児童の皆さんには残念でした(創立記念日<4月27日>と千葉県民の日<6月15日>は、日曜日でも振替休日はありません。あしからず)。

 本校では、学園の誕生日をこの附属小の誕生日も含めて「聖徳の歴史を知る週間・集会」として毎年お祝いしています。これまでの卒業アルバムを閲覧できるようにしたり、昔の型の制服を展示したり、校旗を身近で見られるようにしたりしています。集会には最後に校長の話がありますので、昔のエピソードを語ること、学校開校当時の新聞記事を映写すること、創設者川並香順先生の生誕100年ビデオを鑑賞することなどしてきました。

 今年はどんな趣向でいこうかと考えていたら、タイトルの本校歴代校長の思い出を映写とともに語ろうと思いつきました。振り返ってみますと、20年以上勤務している三須・寺本・私・久保田・吉田の各教員は、私も含めて歴代校長8人にすべて仕えているのですね。私は30代から、他の4人は20代からの勤務です。他の4人も話したいことは山ほどあるでしょうが、今回は私からこれまでの7人の校長先生の紹介を試みましょう。ちょっと軽い読み物風な文章になってしまうでしょうか。お許しください。

 

 第1代。本校の創立者川並弘昭先生です(昭和61年度~平成4年度)。当時学園長であったわけですが、本校校長も兼務なさっていました。感覚的な言い方になりますが、私はこれまでの生涯で、オーラを全身から発しているという人物に一人だけ接しました。

それが弘昭先生でした。赴任当時は恐れ多くてそばに近寄れませんでした。小学校は人生のバイブルの時期の教育なんだということばが忘れられません。今の日本の教育は、開校時この学校が大切にしようとした方針通りに推移してきています。驚くべき先見の明であります。芸術や文化、本への愛好が私と同じでよい学校に就職できたと、喜びの日々でありました。

 

 第2代。鈴木勝(まさる)先生(平成5年度)。私たちでさえ「まさる先生」と呼んでいたほど気さくな先生でした。本校設立準備室の頃から関わってくださっていた元松戸市の中学の校長先生でした。まさる先生が校長先生になった年度は、現在習字を教えてくださっている伊佐先生が教頭から副校長になり、第6代校長の酒井先生が教諭から教頭に同時に昇任した時でもありました。国語が専門だったからでしょうか、私が職員会議で「児童玄関の下駄箱」と発言したら「今、下駄箱というかな?靴箱といった方がいいだろう」とアドバイスしてくださいました。また、児童の俳句集に校庭の樹木からとって「秋楡」という素敵なタイトルをつけてくださったのが印象的です。

 

 第3代。故八野正男先生(平成6年度~平成8年度)。豪放磊落を絵にかいたような校長先生でした。夏のプール、大きなデカパンでラッコのようにぷかぷか水に浮いて大きなおなかを出していたのが目に浮かびます。学芸大学附属世田谷小の元校長でもあったので教育理論に強い学者先生でもありました。“完全習得学習”や“指導性と自主性の調整理論”など私の教育観に生きています。平成9年度の入学式中、訃報の知らせが入り、入院してまもなくのことで私たちはただ茫然としたのでした。学校葬を行いました。

 

 第4代。木村善保(よしほ)先生(平成9年度~平成12年度)自ら「ゼンポです」とおっしゃるぐらいで、印象に残るエピソードがたくさんありました。三越で男子と同じ制服をつくって着たり、運動会では、紅白両方を応援するといって指揮台で紅白帽を半々にかぶって入場行進を迎えているのは、ゼンポ先生のトレードマークのような有名な姿でした。学校だよりの鉛筆原稿の用いる漢字がむずかしく、ワープロ化する私は漢字の読みには自信があったのですが、読めない字がいつも出てきて漢和辞典をひいていました。「春風や闘志いだきて丘に立つ」は先生が教えてくださいました。

 

 第5代。酒井國光(くにみつ)先生(平成13年~平成16年)。懐かしの先生です。私とは足立区の公立で一緒の小学校に勤めていたことがありました。その職場の野球チームで二人はピッチャーでもあったのです。私を聖徳に呼んでくれるに力あったのも酒井先生でした。本校では、教諭から校長まで昇任したはじめての現場あがりの校長でありましたので、学校のこと、教員のことをほんとうによくわかってくれていました。先生のもとで16年間いっしょに働いてきました。算数研究もいっしょにしました。飲みにも行きました。山にもたくさん連れて行ってくれました。というのは登山家としての方が日本で有名なぐらいの名うての山岳人であります。現在でも、教員は退職しましたが、日本山岳文化学会の副会長としてお元気に執筆活動、年間100日の山行と「常に何かに挑戦し続けて」おいでです(このことばは、酒井校長の子どもへの口癖でした)。

 

 第6代。角田元良(つのだもとよし)先生(平成17年度~平成18年度)。千代田区の麹町小学校長を退職してそのまま赴任していらっしゃいました。全国連合小学校長会長であり、文科省中央教育審議会委員という私たちからすれば雲の上のような先生でした。しかし、私とは接点が多く、年齢はちがいますが、同じ足立区出身で小中高と学校が同窓でありましたし、現在もご自宅が私の家から近くでとても親しみを感じました。ともかく座談がうまい先生でした。話しているとどんどん考えがわいてくるようで、いつもその発想の鋭さ、柔軟さには感嘆せずにはおられませんでした。

 

 第7代。松山武士(たけし)先生(平成19年度~平成23年度)。4年生以上の保護者の皆様はご存知の前校長先生であります。私は直下で5年間ごいっしょしましたので、多くの教科研究言、児童指導言、教員指導言、学校経営言に接することができました。教えを受けた思い出として数々の印象的なフレーズが思い浮かびます。先生ご自身も、その一言を金言として、学校経営、教師教育の要としていたのだと思います。「凡事徹底」「治療モデルより発達モデルで指導しよう」「教育的瞬間」「自己有能感」。なかんずく私の一番お気に入りの言葉は次の一言でした。「研修じゃ力はつかないんだよ、研究しないとな」それを聞いた時目の前が明るくなったのを思い出します。うすうす感じていたことを明確に指摘してもらった喜びだったのでしょう。普段は穏やかでやさしい先生でしたが、心底の決断力、胆力のすばらしさを何度も目にしました。

 

 このように振り返ってみますと、私は本校一点にとどまっているのになんて豊かな上司体験をしてきたのか、とその幸せを思います。今、第8代校長を務める役回りになりましたが、その職責を自覚して、児童・教師・学校が一層向上的に変容していくように微力ながら力をつくすことが先輩校長のご厚誼に感謝することだろうと改めて考えました。





校長室だよりのトップページ