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学校生活

校長室だより

2014年10月の校長室だより

平成26年度 学校だより 11月号

 

   本校の学力形成・人格形成のキーワード

       ―「メタ認知」という自分を見るもう一人の自分― 

 

              聖徳大学附属小学校  校長 佐藤 幸雄

 

 確かな学力の形成から一歩進展させた「質の高い学力形成」をめざすこと。思いやりの心・和える心に響き合う心を加えて統合した「和のこころを育てる人格形成」をめざすこと。

 このめあてを両輪に、建学の理念、礼節・知育・勤労という附属校の教育方針とを大黒柱として意識しながら日々の教育活動を展開しているところですが、この二つの車輪をつなぐ車軸はなんだろうと考えてきました。私の答えはすでにあって、それは「本物教育(環境・体験)」だと考え実行してきました。

 最近、その子どもへの働きかけ方である子どもの外部に存在する本物教育という車軸だけではなく、子どもの内部に育てる「メタ認知」という能力をもう一つの車軸として考えていくことが有用であると気づきました。本物教育は手段ですが、メタ認知能力は目標になりますので、この育成を新たに掲げることは、そこから学習内容・学習方法・学習評価を新たに構想していく視点が得られるからです。そして、メタ認知については以下に述べますがこの概念は学力形成にも人格形成にも深く関係するキーワードだからです。

 

 まず「メタ認知」という言葉の説明をしておかないとわかりづらいと思いますので簡単にふれておきます。学術用語としては1970年代から心理学の中で現われてきたそうです。用語としては新しくとも考え方としては古代ギリシャのソクラテスまでさかのぼれるというのですから、注意深い人々にとっては昔から人間の認知にとって大切な働きをするものであると気づかれていたのでしょう。彼は、アテナイ(アテネ)の街で青年たちを相手に議論を仕掛け、「よく知っているつもりでいたが、実は無知であった」こと(無知の知)を気づかせようとしていました。じつはこの対話がメタ認知をうながす行為であったと解釈できるのです。つまりメタ認知とは、『自然に考え行動する本然的な自分という存在を、一段上から監視しチェックするもう一人の自分を育てて、その高次な自分が本然的な自分の認知や行動に修正を加えていく活動』ということです。「メタ」とは、"何かを越えて"とか"高次の"を意味するギリシャ語の接頭語です。

 

 なにやらむずかしそうな文章になりましたが、子どもの成長を振り返ってみればよくわかる概念です。幼児や小学校の低学年の児童が自分中心な見方をすることはよく知られています。それ自体は認知の発達段階の一過程として問題のあることではありません。自分の見たり感じたりすることを絶対化して、他者が他者としての見方、感じ方をするということがわからなかったり、他者も自分と同じことを思っているはずだと考えることですね。感情的にも頑固であればいわゆるわがままな子としてトラブルが起きやすい子どもになりますが。

 成長ということを考えてみれば、その自分の自己中心的な見方、考え方を脱却して自分の認知を他者と区別できるようになったり、他者の考えや感じ方も自分のそれと同じように尊重できるようになることです。そして、さまざまな経験や刺激から自分の考えや行動を自己調整できるようになることです。それはとりもなおさず自分の中にメタ認知力を育てていくということにほかなりません。

 

 学校という場所は、メタ認知力を育てていくのにふさわしいところです。学習面でも生活面でも他者との関わりの中で活動していくからです。その関わり合いは、自然な自分を外から客観的に眺める機会に満ちています。

 思い直してみれば本校の学習指導はそのプロセスでメタ認知活動を重視していることに気づきます。まず自分の考えを持つ自力解決の時間を確保して、その多様な各自の考えを交流し合い自分の考えを見直す機会をつくります。他者の考えが自分の考えを相対化してくれるのです。そこで自らの意見に確信を深めることもあるでしょうし、自己調整して意見を変更していく場合も少なくありませんがこの過程はメタ認知過程です。最後に今日学んだ結論からみて学習全体を振り返る。はじめの考え、他者の考えを契機にした途中の考え、最後の考えとたどり直してみることで、一段高いところから自分や学級の思考過程を吟味していく。これもメタ認知過程といえるでしょう。

 生活指導面ではどうでしょうか。7つの行動の振り返りはまさにメタ認知活動ですし、明和班活動は異年齢集団の中でうまくやっていくのには状況に応じて様々な立場に自分を立たせているでしょう。状況に応じて自分を使い分けられるという態度は、自分をコントロールできないと生まれてきませんが、その行動ももちろんメタ認知です。

 また、本校では日々の学習でも、長期休業でも文章で自分の考えたことを綴ることを大切にしていますが、自分の心を言葉で外部に表現する活動は、もう一人の自分を仮構して本然的な自分を見つめる行為なしにはできないことです。その見つめる過程では反省、考察、修正などメタ認知ならではの活動が活発に行われているでしょう。

 学習指導と生活指導とは「メタ認知」能力の育成で統合的にとらえることができるのです。

 

「メタ認知」を質の高い学力形成の実現と和のこころを育てる人格形成の実現とをつなぐもう一つの車軸としたいと考えた私の思いを伝えることができたでしょうか。これからは、この概念を私たちが指導の中で一層意識していくことで、新たな学習内容・学習方法・学習評価を構想して聖徳ならではの教育をさらに強固にしてつくりあげていきたいと思います。



平成26年度 学校だより 10月号

 

        きちんとした美しい食事の姿を身につける

               ―食事のフォー・マナーズ―

 

                       聖徳大学附属小学校  校長 佐藤 幸雄

 

9月には来年度入学者のための入試説明会を2回行いました。すでに学校説明については角度を変えながらではありますが何度も私からお話していますので、この2回は、礼法からみた手先と学力の関係について、礼法教諭の見神先生からその研究の一端を紹介してもらって参加者の意識を高めることを試みてみました。

お話は、ヒトは「手」と「舌」に関する神経細胞が他の哺乳類と比べて断然多いということ。したがって脳の発達が、手を動かす機能と話す機能とに密接に関わってくることになるという主旨でした。2009年の広島大学の研究では、年中児・年長児対象の実験で、計算能力と手指の巧緻性には深い関係があるという結果が出たそうです。本校の礼法の授業でも箸使いや「折形」の学習を積極的に取り入れているのは、日本文化を学ぶというだけではなく脳の発達も視野に入れながら取り組んでいると先生はまとめられていました。

日本人は昔から手の大きさに合った先の細い箸を使いながら、魚をほぐすなど細かい箸づかいをしながら食事をしてきましたし、掃く、しぼる、たたむ、削る、縫う、折るなど手指をつかう作業や文化が豊かでした。遊びでもあやとり、おはじきなど手指を使っていました。その結果、器用さが国民性にまでなったということです。現在は、その生活や文化に変化が訪れ、手先の器用さに赤信号がともり始めているのはご承知の通りです。

そういう課題を考えれば、子どもの普段の学習でも、字をていねいに書く、消しゴムでしっかり消す、定規で線をきちんと引くなども手先の巧緻性を発達させていくことになり、ひいては脳の発達、学力の向上につながります。意識を持たせたいところです。

 

タイトルと内容がずれてきてしまいました。箸使いのことから、私もいっしょに会食を食べている食堂での子ども達が目に浮かんできて、その様子をお知らせして保護者の皆様のご協力を仰ごうと思っているのですが前説が長すぎてしまいました。(しかし、削ってしまうのは惜しくなってしまいましたのでこのまま残させてください)

明和班で毎日食事をするということはよいものです。なかよく楽しそうに食べているのを見るのはこちらも気持ちがなごやかになりますし、1年生が無心に食べている姿はなんともかわいらしいものです。温カートの配膳もすっかり定着して主菜もあたたかくいただいています。

しかし、私は担当が決まっている他の先生方とちがって1週間ごとに食事をする班が移動していくのですが、そこで気になる子を目にすることが多いです。食べる姿勢、お茶碗などの持ち方です。個人的に注意して気づかせていっています。黙想の時の背筋を伸ばすこと、声の大きさなどの全体指導は毎日週番の先生や班の担当の先生が行なっていますからよいのですが、毎日の3度の習慣で身についてしまった食事の悪いマナーはなかなか全体指導では直せません。

特にこれは直したいということをお知らせして、あと2回のご家庭の食事のときでも意識して見ていただければと思います。きちんとした美しい姿で食事のできる子どもは男子でも女子でも見ていて気持ちの良いものですし、その子の一生の宝だとも考えるのです。

 

1.椅子の背にもたれて体を斜めにして食べていること

    椅子の位置を適切にして、背筋をまっすぐ伸ばしてテーブルとは拳二つ分ほど、椅子の背とは拳一つ分ほどあけるとよいと話しています。低学年でよく椅子を引いておなかをテーブルにぴったりつけている子がいますが、これもやめたい姿です。

2.箸をもたない手を椅子について片手で食べていること

    もう片方の手も食器に添えて食べようということです。隣国では日本とは反対のマナーということなので一概にいえませんが、体が斜めになっていることが多くやはり見苦しいと思います。

3.置いた食器に口を近づけて食べていること

    極端な例が犬食いといわれているものですが、背筋を伸ばして、箸を口元に運んで食べている子は本当に美しく見えます。そういう子には女の子であれば「食事美人だねえ」とよく言っています。

4.お茶碗、お椀を人差指でふちにかけて持っていること

    写真でお見せすればすぐわかるのですが、最近大人でも見かけます。親指をふちにかけ、他の指で底を中心に支えるのが普通ですが、親指と中指で支えて真ん中の人差指をふちにかけて持っているのです。私の感覚であるのかもしれませんが、違和感を覚えます。礼法では美しさとともに慎ましさ、目立たないことが美徳となりますので今のうちに直させたいものです。

 





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