化け蜘蛛 ちんちん小袴 ば    くも
化け蜘蛛
(左)
:古寺に住んでいる化け蜘蛛を侍が退治するという物語
         こばかま
ちんちん小袴(右)怠け者の娘を妖精たちが懲らしめるという物語

 明治の文豪、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲:1850-1904)の作品は、「化け蜘蛛」、「ちんちん小袴」の他に「お団子ころりん」、「猫の絵を描いた小僧」、「不老の泉」です。1898(明治31)年〜1922(大正11)年にかけて出版されたちりめん本の挿絵を担当した鈴木華邨と新井芳宗は当時の著名な画家たちでした。後に5冊をセットにして販売し、大変よく売れたそうです。ハーンは節子夫人から聞いた昔噺を題材にしてこれらを執筆したと思われていますが、これらの他に怪談を英訳したことでも知られています。
英語版(19.0×13.7cm)
ラフカディオ・ハーン訳
1926(大正15)年1月20日発行
英語版(19.0×13.7cm)
ラフカディオ・ハーン訳
1925(大正14)年9月15日発行



八ツ山羊 特別展示コーナー

我が国で最初に和訳されたグリム童話

「八ツ山羊」(狼と七匹の子山羊」)

あらすじ 
狼が母山羊の留守中に、声を変えたり、足の先を白く塗ったりして、子山羊のいる家を襲います。そして、まんまと子山羊を騙して食べてしまいます。難を逃れた子山羊から、事情を聞いた母山羊は、昼寝している狼をみつけ、その腹を裂いて子山羊を助け、その腹には代わりに石を詰めてしまいます。目覚めて水を飲もうとする狼は池に落ちてしまいました。

 西洋昔噺第一号に収められている「八ツ山羊」は、明らかにグリム童話の「狼と七匹の子やぎ」と同一のものです。題名の数字が「八」に変更されているのは、西洋ではラッキー・セブンと言われるように、「七」が幸運な数字ですが、我が国での幸運な数は末広がりの八なので、訳者が日本風にアレンジしたものでしょう。
訳者は我が国の統計学の祖として知られ、明治期に活躍した内閣統計局審査官の呉文聰(くれあやとし)です。
呉文聰訳(初版本)
(18.1×12.5cm)
1887(明治20)年9月発行




長谷川武次郎コレクションについて

 本学の長谷川武次郎コレクションには、弘文社やロンドンのグリフィス・フェアラン社より刊行された「日本昔噺文庫」シリーズのほかに、長谷川武次郎個人が出版人となって、我が国の代表的な昔噺を収めたものです。またアイヌ民話や1896(明治29)年に印刷されたカレンダー・シリーズなども収められています。
 長谷川武次郎(1853-1936)は、江戸の商家に生まれました。生家は明治初期に食品の輸入から、英語の教科書まで幅広く商いをしていました。住んでいた京橋と外国人居留地の築地とは隣接していたため、幼いころより外国人に接する機会にめぐまれました。特に、日本語に堪能で日本昔噺に関心のあった米国人のディヴィット・タムソン牧師と出会い、ちりめん本の「日本昔噺」の執筆者となるヘボン博士、チェンバレン、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)らと交友を深めることになります。
 長谷川武次郎は、1875(明治8)年に東京商法講習所で近代商業を学び、若い頃より親しんでいた英語とそれまで培った人脈によって、英語の学習用テキストとして、普通の和紙に木版印刷した本(平紙本)を弘文社から出版します。その後、輸出商品用としてちりめん本という、大変美しい本を完成させました。本の美しさのみでなく、居留外国人によって、日本の昔噺や当時の風俗が翻訳されている点においても大変興味深い文庫となっています。
 ちりめん本「日本昔噺文庫」(Japanese Fairy Tale Series)は、1885(明治18)年に長谷川武次郎が主幹していた弘文社から刊行されました。当時の我が国を訪れた外国人観光客の土産物として好評であり、英語以外にも、仏・独・西・葡語などの各国語版が出版されました。その後、ちりめん本「日本昔噺」シリーズは、長谷川武次郎より版権を得て、横浜のケリー&ウォルシュ社から17冊、3ドル50セントで販売されました。
 ・参考文献:鳥越 信,2001.はじめて学ぶ絵本史T(ミネルヴァ書房),35-45.